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kitanaiji 汚い字シリーズ

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かたつむり 登らば登れ、富士の山

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父から学んだ人生の生き方

 

新年にあたって、つくづく思うのは、自分は本当についている人生を歩ませていただいているなぁということです。

今年の9月には、55歳になりますが、昨年の12月25日まで父は健在でした。
79歳まで茨城県の那珂で社長でした。
80歳の天寿を全うして亡くなりましたが、この年まで社長をやってこられたということは、とにかくよく勉強をし、時代の流れに合うように会社の業態を変えられたからです。

私がついていたと思うのは、この父から人生の生き方を学べたことです。

 

父からかけられた言葉の数々

 

私が実践していることがいくつかあります。

一つは「社員に使用人という言葉を使うな、働いてくれている人と言え」「不吉な言葉は使うな」「たとえ不器用でも嘘をつかず真面目な人を大事にしなさい」等です。

私は商業高校出身ですが大学へ行かせてもらいました。
兄は普通高校、弟は工業高校で地元に就職。(弟は父の会社に就職)
兄弟では私だけが東京へ行かせてもらいました。本当に感謝しています。

大学へ入ってからは、会計士試験合格を目指して1年より勉強、アルバイトもほとんどすることなく仕送りで生活できました。
それでも2回連続不合格、3回目の試験へ挑戦したいけど親へ負担をかけるのは申しわけないと思っていたら、父からの手紙。

手紙の最後に「かたつむり 登らば登れ 富士の山」という俳句が書いてありました。

この言葉に勇気づけられ、朝8時から夜の11時まで勉強しました。
そしてどうにか3回目の試験で合格することができました。

父の応援がなかったら今の私はなかったと思っています。
父の教えがなかったならもっと自己中心的な経営しかできなかったのではないかと思います。

私がいつも感心していたのは、結婚式や告別式で聞く父のスピーチのうまさです。
父のようなスピーチの出来る人間になりたいと目標にして来ました。

このような父にこの年になるまで学べた私は、本当にありがたく、ついています。

 

親からの恩を、客様、社員、国家に返していくために

 

もう一つ感謝しているのは、死ぬ前に遺産は全て、誰に何を相続させるか決めていたことです。
メモが残っていました。
私の分が何もなかったということです。
満は大丈夫と生前言っていたそうです。

親の期待というか、喜んでもらおうと一生懸命頑張って来たつもりです。
父から信頼されていたということが私にとっては一番の喜びです。

父を見て来て、人生どのように生きるべきかは学んだつもりです。
恩は親には返せませんが、これからお客様、社員、国家に返して行きます。

昨年で社員が100人を超え、お客様は今年1,100件を超えます。

より多くのお客様に感動してもらえる仕事をします。
誰よりも熱く、情熱的に仕事をします。
一社でも多くの中小企業とその社員、家族に喜んでもらえる仕事をします。
社員の生活の安定と未来のために人間性を高め、社員が尊敬できる経営者になります。

会社を公器と考え、今年を第2創業の年として6カ年計画をスタートさせます。
長期事業計画により、2013年を第3創業の年とします。

そのために今年より、組織を見直し、商品開発、採用、教育、新規開拓を重点とした戦略を実行します。
2020年が夢の達成日付です。

今月号は私の個人的な話で大変申しわけありません。

 

古田圡 満