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【お客様インタビュー】売上ゼロから年商5億円に成長した社員17名の会社の転機とは(スズキ機工株式会社 1/10)

【お客様インタビュー】売上ゼロから年商5億円に成長した社員17名の会社の転機とは(スズキ機工株式会社 1/10)

本連載は、社員数わずか17名ながらも年商5億円の成長企業へと転じた、スズキ機工株式会社の成功の秘訣をうかがうべく、同社代表取締役社長でいらっしゃいます鈴木 豊 社長へのインタビューを書き起こしたものです。

全10回に渡るシリーズものとなっていますので、ぜひ中小企業の経営のヒントを得ていただけますと幸いです。

▽動画も視聴いただけます

【出演者】
インタビュイー:
スズキ機工株式会社
代表取締役社長
鈴木 豊 氏

インタビュアー:
株式会社古田土経営
代表取締役社長
飯島 彰仁

飯島 今回はスズキ機工株式会社の代表取締役である鈴木豊社長にお話をおうかがいします。
同社は我々のお客様のなかでも近年知名度が上昇している会社ですが、現在までにどんな歩みがあったのか、また同社の魅力などを皆さんと共有していけたらと考えています。

最近スズキ機工様はテレビをはじめとするメディアでの露出も増えていますが、これまでどのような番組の取材を受けられましたか?

鈴木 ここ3年で、テレビ番組では「がっちりマンデー!!」や「ガイアの夜明け」のほか、ニュース番組などでも多数取り上げていただきました。おかげさまで弊社商品の知名度はかなり上がりましたね。

小さな町工場が年商5億円企業に

飯島 かなりの大企業かと思いきや、社員数は17名なんですよね。社員数17名の会社がなぜ、全国区の有名な会社になれたのかという点は、多くの人が興味のあることだと思います。ではまず、スズキ機工様がどういった事業をされている会社なのかを教えてください。

鈴木 弊社は千葉県松戸市にある、2つの製品を軸に事業を展開している会社です。1つ目の事業としては、パンやラーメンなどを作る食品関係の自動機械の設計・製作を手がけています。2つ目の事業は、高性能の潤滑剤『ベルハンマー』をはじめとする自社ブランド製品の開発・販売です。

飯島 鈴木機工様は1971年創業の歴史ある会社で鈴木社長は2代目ということですが、創業当初からこの事業内容は変わらないのでしょうか?

鈴木 いえ。私の父が創業した当時の事業内容は、18L缶、いわゆる一斗缶を作る機械のメンテナンス及び付帯設備でした。バブル経済崩壊までこの18L缶事業が売上の95%以上を占め、20年以上この事業1本だけを続けてきました。

飯島 そんなスズキ機工様ですが、現在の売上がなんと…

鈴木 年商は5億円くらいで、経常利益でいうと1億円ちょっとくらいです。毎月、経営計画書や月次決算書をもとに売上向上を図っています。数字から逃げず、その数字を実現するためにはどういった戦略を打つべきかを話し合いながら日々積み重ねていますが、まだまだこれは通過点だと思っています。

飯島 我々古田土会計とのお付き合いはどのくらいになりますか?

鈴木 最初に古田土先生の本を読んで、自分で経営計画書を作ってみたのが8年前なんですよ。それから月次決算書や労務指導など諸々の指導を受けるようになって、今で約6年ですね。古田土会計とお付き合いし始めたころは、自社ブランドはまだ立ち上げておらず、ちょうど事業展開に向けた過渡期だったので、いろいろな面でご指導いただきました。

18L缶事業の衰退を機に食品機械事業を新展開

飯島 このご時世、中小企業の多くは全く儲かっていないと言っても過言ではありません。そんな中、完全に振り切っているのがスズキ機工様です。通常の事業構造で考えると、年商5億円で経常利益が1億円というのはすごいことです。しかも社員17名でこれを達成しているわけですから…。そこで、18L缶から現事業に移行していった、その過程をお聞かせくださいますか?

鈴木 弊社は創業当初、従業員10名弱の町工場でしたが、事業は食べるには困らない程度に安定していました。しかしその後、バブル経済の崩壊を機に業界自体が価格競争に巻き込まれ、事業環境は一気に厳しくなりました。私が父から力を貸してくれないかと誘われて、スズキ機工に合流したのはそのころです。

当時の工場や作業場は本当に荒れた状態で、今では考えられないのですが、事業上に必要な数字面も全てどんぶり勘定でした。会社の将来的なビジョンもない、絶望的な状況からスタートしたのを憶えています。ただ、私が社長に就任するまでの間に18L缶事業自体が衰退することは目に見えていたので、今後も存続できる産業を見出す必要がありました。

飯島 食品関係の産業とはどのようにつながるのですか?

鈴木 私の前職は食品原料を輸入販売する商社の営業マンだったのですが、これが新事業展開への足がかりとなりました。可愛がってくださっていた食品会社の社長から「うちの工場の機械も見てみたら?紹介するから」と声をかけていただいたんです。その縁からいろいろなお客様を紹介していただくうちに、食品関連業界の顧客がどんどん増えていきました。

そして2007年に、関東にあった18L缶製造会社の最後の1社が倒産して、私たちの18L缶事業の売上もゼロになります。そのときには食品機械事業がずいぶん伸びていたので、倒産・廃業はなんとか免れ、そのタイミングで私が代表取締役に就任しました。

飯島 すごい状況ですね。

鈴木 当時はまさに自転車操業でしたね。今後どう会社を立て直すのかという課題はありましたが、マイナスからスタート地点にやっと戻れた…そんな気持ちでした。

持ち前の営業力で市場のニーズに応える会社を再生

飯島 この経緯はオンラインでも無料公開されている鈴木さんの書籍『弱者の経営戦略』にも書かれていますよね。私も拝見しましたが「うわー、すごくドロドロしてる」という部分もあって興味深い内容でした。ぜひみなさんも検索して読んでみてください。ところで鈴木社長は、元営業マンでいらっしゃるんですね。

鈴木 はい。営業力の自信はそれなりにあったのですが、スズキ機工は技術の会社なので、入社当初は苦労しましたね。設計や電機、加工などのことは独学とOJTで学び、社長として食品機械事業を引っ張っていかなければなりませんでした。未経験から急激に力をつけて親方になった、そんな感じでしたね。

飯島 私は、鈴木さんが元営業マンだからこそ、市場のさまざまなニーズを吸い上げることができて今に至るのだと思っています。もちろん技術力も必要ですが、根っこにあるのは、お客様との折衝・交渉・相対できるかどうかだと思うのですが、いかがですか?

鈴木 それは確かにありますね。見方を変えると、自分には会社の弱点や足りないことを分析する力があったのかなと思います。

食品関係の機械の設計・製作に事業転換した直後も、弊社には足りないことだらけでした。それでも食べていかなくてはいけません。どうやってお客様に付加価値の高い商品・サービスを提供すべきかを分析し、足りない部分を改善しながら会社を作りあげていきました。

第2回に続く]

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