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【お客様インタビュー】インターンシップの受け入れが会社に新たな風を吹き込んだ(株式会社浜野製作所 2/7)

【お客様インタビュー】インターンシップの受け入れが会社に新たな風を吹き込んだ(株式会社浜野製作所 2/7)

本連載は、中小企業の星として、今やメディアに引っ張りだこの株式会社浜野製作所 代表取締役CEOである浜野氏へのインタビューを書き起こしたものです。

全7回に渡るシリーズものとなっていますので、ぜひ中小企業の経営のヒントを得ていただけますと幸いです。

▽動画も視聴いただけます

◇前回までの記事はこちら
【お客様インタビュー】時代や環境の変化を見つめて事業展開をする中小企業の鑑(株式会社浜野製作所 1/7)

【出演者】
インタビュイー:
株式会社浜野製作所
代表取締役 CEO
浜野 慶一氏

インタビュアー:
株式会社古田土経営
代表取締役社長
飯島 彰仁

先代の死や社屋の火災などを乗り切り
新たなことをやっていこうと決意

飯島 事業展開に大きく影響するできごとがあったという浜野さん。今回は、浜野さんが先代より浜野製作所を継がれてから、そのできごとが起こるまでの経緯をお聞かせいただきます。

浜野 話は戻りますが、父親が工場を営んでいた頃、僕は板橋区の町工場に、昔でいうところの丁稚奉公として修行に行っていたんですよ。そこでは10年間お世話になって、技術などひととおりのことを学ばせていただきました。そして、父が病気で亡くなったため実家へ戻り、この会社を継いだんです。これが1993年のことですね。

私が引き継いだときは、自宅と工場が一緒になっている建物で、職人は時期によって1人だったり2人だったり…くらいの規模で事業を行っていました。父が亡くなった2年後には母も病気で亡くなり、また高齢の職人さんがリタイヤされたこともあって、1人で仕事をやっているような時期も若干ありましたね。ある時には、今からもう20年以上前のことですが、2000年に、本社兼工場が近隣火災のもらい火による火事に遭いました。その時は私のほかにもう1人従業員がいて、2人でなんとか災禍を乗り越え、そこから新たなことをやっていこうと思ったんです。

まずは、自分でWordを駆使して会社案内を作ってみました。けれども、会社名と住所、電話番号、取引銀行名が書いてあるくらいのものです。これを持って行って営業したところで、先方には何がなんだかわかってもらえず、結局、取引につながることはありませんでした。そんな中当社では、今で言うところのインターンシップの受け入れをすることになったんです。

学生たちに業務改革の機会を提供
若いアイデアを取り入れ会社も変わる

飯島 その頃はまだ、インターンシップという言葉も一般的ではない時代なんですよね。

浜野 2003年頃のことで、受け入れる側も受け入れてもらう側も、まだインターンシップという認識はなかったと思います。これを始めた当初、一橋大学商学部の学生グループを受け入れたのですが、そのゼミをもつ関先生という方が、当社の変化点の肝となりました。

ある時、一橋大学生の来る日に、早稲田大学ビジネススクールの社会人MBAグループも来ることになり、彼らが交流して学ぶ機会を設けたんです。その時の工場見学後の質疑応答では、関先生の生徒たちはそう教育されているのでしょう、みんなどんどん手を挙げるんですよ。すると時間が足りなくなってしまい、「浜野さんにもっと話を聞きたい人は、この後一杯飲みながらやりましょう」という関先生の声かけにより、みんなで居酒屋に行ったんですよね。

そこでも私は学生たちからいろいろな質問を受けるのですが、それがひととおり終わった時に、今度は私から質問をしました。「みんな一橋大学に通っていてとても優秀だけれど、大学を卒業したら、将来何をしたいの?どういう会社に入りたいの?」と。すると、たまたまだと思うのですが、私の周りに座っている学生たちはみんな「総合商社に入りたい」と言ったんですよ。

その頃ちょうど当社では、大手総合商社の2名の社員を、1週間ほど研修のような形で預かっていました。彼らはすごくエネルギッシュで、私が思う商社マンのイメージ通りの人たちだったんですよね。朝は早く来てバリバリ働いて、夜は飲みに行こうと言ってガーッと仕事を終わらせて、次の日もまた朝早く来る…みたいな。「総合商社で働く商社マンって、本当にこんな感じなんだ」と思ったものです。

けれども、その居酒屋の席にいた学生たちはというと、この現役の総合商社の商社マンと比べると、なんだか線も細くて弱々しい気がしたんですよね。そこで彼らに「あなたたちは戦い方の準備を総合商社に入ってからするのか、大学3年生のうちからするのか?」と問いました。そして「もし、今から準備をしたいという情熱のある学生がいたら、浜野製作所を題材として提供するので、当社の業務改革をやってみないか」と提案したんですよ。すると、さすが積極的なゼミにいる学生たちですから、20人くらい集まったんです。

私が彼らに話したことは3つだけです。浜野製作所の過去。そして現在。読めるかどうかはわかりませんが、決算書も見せました。そして、未来はこんな会社にしたいということ。後は「実際にここで1つでも2つでもいいから、自分たちの力で改善・改革に挑戦してみなさい」と。そうしていくつかのチームができ「これからの時代はネットで営業するのが良い」「製造業だからもっと生産効率を上げなければいけない」など、さまざまな案があがりました。中にはレポートを作成してきて、私に見せる学生もいましたね。

飯島 大学生にとっては、非常に取り組み甲斐のある貴重な体験ですね。

浜野 またこの中に、大学を休学してインドでSEとして働いた経験をもつ学生がいたのですが、彼は結果的に2年ほど私の家に住み込みで働いたんですよね。大学卒業後、彼は大学院に進んで博士号をとり、現在は自分で起業していますが、当社では「なんでもすぐやる課」という課を立ちあげたり、ホームページを作ったりもしてくれましたね。

開設したばかりのホームページに届いた
事情を抱えた一通の問い合わせ

浜野 彼の作ってくれたホームページでは、顧客をもっと広げて売上を伸ばせるようにと、メーカーなどを対象にしたお問い合わせフォームを設置しました。けれども当時はアクセスがほとんどなく、お問い合わせを送ってくるのも個人の方ばかりでした。「おじいちゃんが使っている椅子がガタガタするので脚を切ってほしい」「背もたれの金具がはずれたので溶接してくれないか」など(笑)。せっかくお問合せいただいたことだからと、それも対応はしていたのですが、取引の期待できるメーカーからの問い合わせは、まったくありませんでしたね。

当時は従業員が5、6人くらいいましたが、全員現場スタッフで、営業は私1人でやっていました。製品を箱詰め梱包してトラックに乗せて、お客様のところへ配達して、帰ってきてパソコンを開いて、ほとんど来ないお問い合わせをチェックする毎日です。ある日、いつものように配達を終えて帰って来ると、お問い合わせが1件届いていて、メールを開くとまた個人の方からでした。内容は「パイプの加工をしてもらえないか」といった相談。「ちゃぶ台や椅子も直して、カーテンレールも切って、今度はパイプの加工か〜」などと思っていると、ひととおり読み終えた時に、差出人から電話がかかってきたんです。

電話口から受けるその方の印象は、とにかく暗い。声のトーンや話しかたもあるのでしょうが、話を聞いていると、ただ暗いというよりどこか重苦しい口調のようにも感じました。そこで「差し支えなければ、今回依頼された状況、背景を教えてもらえませんか」と聞いたところ、その方がこんな話をされたんです…。

第3回に続く]

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